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何を問われ、何を答えるか、について

しばしば、相手の質問に答えていない、ということがあります。それがいわゆる、正面から衝突すると不利益を招くという判断ゆえの技巧ということであればよいのですが、そのような技巧を弄する意図があるにしては、過去の回答と矛盾があるなどの穴がある場合もしばしばみられ、得てして相手が求めていることよりも自分の言いたいことを言っているだけであるというのが本当のところでしょう。例えば、相手が少しは役に立つと思うのですがどうですか?と提案してきたとき、まずは少しは役に立つのか立たないのか、について答える必要があります。何故かというに、こういう問題があるからだ、というのはその後のことです。ところが、得てしてまず提案を断ろうという気持ちがあると、まず言い訳からし始めることになります。たいていの場合それは外から見ると言い訳になっていない、ということが多いものですから、それで結局、少しは役に立つのか立たないのか、どっちなのだ、ということになります。ところが、答えている方は「当然に、役に立たないのだ」と思っているから、そういうことを説明することなく、結論を補強すべく、言い訳を並べているわけです。加えて「少しは」提案してきたというのに、いつの間にか「大幅には」などとすり替えて言い出したりもします。すると、それを翻訳するのに時間がかかるわけですね。事務的コストがかかるという事実、金銭的コストがかかるという事実、これだけを並べていると、それが提案者の「少しは役に立つ」に対してどうなのか?ということが分からないわけですね。「少しは役に立つ」に対してコストがかかりすぎる、要するにその「少し」を実現することの費用対効果が悪いので採用できないのだ、といえばそれで終わることを長々と説明することになり、当人はすっかり説明した気になって、それでなぜわからないのだ、ということになります。加えて、過去に、役に立つという前提で進めたことがあったりすれば、矛盾を抱えることになり、さらに第三者は判断にあたって混乱をきたすことになります。推進の意図があるときには役に立つとしておきながら、そうでないときには役に立たないと説明したのではまるで整合が取れなくなってしまいます。こういう時には、やはり、提案のとおり、少しは役に立つだろうけれども、費用対効果が悪いから、その方法は採用できない、というのが各方面に配慮したわかりやすい説明というもので、まず何を聞かれていて、それに対となる答えは何か、ということを最初に踏まえた上で、あれこれ矛盾の無いように配慮をしていくという有様でなければ、聞かされている方は結論が何なのか、その説明がどんな結論を補強するためのものなのか、ということがまるでわからない、ということになってしまうわけです。

by syayousangyou | 2021-08-23 17:32 | 生産性向上